海外で仕事をする際の心得(完)

2022.08.5

企業支援

前回、インドネシアについて寄稿した際に、海外で働く、事業を海外に展開したいと思う方々に向け「海外のどこの国や地域においても独自の文化や国民性があり、それを理解する事が出発点になる」とお伝えしました。
今回は「海外で仕事をする際の心得」についてお話ししたいと思います。

筆者は職歴から海外出張をする機会が多く、滞在した国の数は20を超えます。内訳は、米国、英国、仏国、そして東アジア・東南アジア・中近東・アフリカ(英語圏)の国々です。
そんな経験を経ての「心得」になりますから、世間一般のものより若干かたよっているかもしれませんが、筆者はこれを信じ、先進国を除く地域に赴任する同僚・後輩に伝えてきました。ここでご紹介したいと思います。

1.その国を良く知る。
2.日本人で群れて良い。
3.緊張感を持続してもつ。
4.受け容れる。でも、こだわる。
5.早いうちから日本側に理解者・協力者をつくっておく。(以上前号まで)
6.現地にブレーンをつくる。

6.現地にブレーンをつくる。
・元首の選出時(国により再選できず必ず新任になる、複数任期が認められ現職と新人の戦いになる等、パターンは分かれます)の選挙活動、災害などの社会的不安、経済の停滞・悪化にともなうデモ恒常化、あげくは軍部によるクーデターなど、日本人社会では予測が難しいこと、対処の知恵・経験が無い事態にでくわした時、現地の識者・有力者からもたらされる情報・助言が大変役立ちます。先に「日本人で群れよ」と述べましたが、一方で、現地人で頼れる人との交友は絶対につくっておくべきです。

・財閥など有力企業グループの経営陣ないし経営陣と近しい関係者、政治家や軍人ないしそれに近い筋の人など高度な情報や助言をもたらしてくれます。簡単には出会えず見つかりにくいかもしれませんが、現地で仕事を一緒する現地パートナーや関係者を通じて網をはり、紹介を頼むのが良いと思います。先にあげた日本人の群れの中で大物の方と親密な関係になれば、その方に頼むのも一手です。

[Small Story]
1997年インドネシアはアジア通貨危機の影響を大きく受け、実体経済の悪化に加え政情・社会不安をもたらし、1998年初頭より各地で暴動が発生し始めました。社会不安が大きくなった3月の時点で駐在員の大半が出国退避しましたが、筆者は政府系のインフラ整備を業務としていたため居残り組に選ばれました。ある政府高官と業務を通じ信頼を深め、友人となっていたので、同高官と連絡をとり、トリガーとなるかもしれないイベントと予測される事態につき内々に情報を得て、安全なホテルに住まいを移動できる様に準備をしておりましたが、5月に高官の助言に従いホテルに移動し、私の進言で居残り組の他駐在員もそれに続きました。数日後首都ジャカルタで最大級のデモと暴動が発生し、市中いたる所で焼き討ち等火の手があがり、32年間君臨したスハルト大統領は退陣に追い込まれました。退陣後も暴動と略奪による社会不安は1か月継続し、ホテルに立てこもる状態が続きましたが、その間も政府高官との連絡は絶やさず、これ以上の悪化は無いとの情報を信じ、精神的に健全に事態を見守ることが出来ました。

[Small Story]
2012年所属した会社がジャカルタ進出のおり、二度目の駐在となりました。現地での事業パートナーは既に選定・決定されており、その実行役に私が選ばれた、いう流れだったのですが、驚いたことにそのパートナーなる人物が1995~97年に政府系の仕事を一緒にしていた華僑系ビジネスマンのS氏でした。1998年の暴動の際、華僑はそのターゲットとされていたので彼は1998年早々にジャカルタを離れておりましたが、ジャカルタへ戻った後に暴動後の民主化へ向けての混乱時の金融問題の処理や制度の修正・改革に貢献し、2008年リーマンショック時にも適切に対応し、実績ある金融マンとして活躍していました。
駐在期間中も大統領選をはじめとした不安が囁かれる出来事も多くありましたが、S氏とはほぼ毎日のように顔を合わせていましたので、社会不安などのストレスなく平穏安全で楽しい駐在生活となりました。


コロナ禍は国により異なった局面をみせ始めています。加えて、ロシア・ウクライナ問題、NATO加盟をめぐる欧州での動き、ミャンマーの国境周辺での内戦、朝鮮半島情勢、フィリピン大統領選出後の動向、中国・インドの動向などなど、先行きがみえない時代が続いています。
筆者は、以前より海外での業務でもっとも重要なのは「安全・安定な環境をつくる」ことと考えてきました。今ほどこれを強く感じる時代はありません。
本稿が一助となれば幸いです。