海外で仕事をする際の心得(その2)

2022.07.1

企業支援

前回、インドネシアについて寄稿した際に、海外で働く、事業を海外に展開したいと思う方々に向け「海外のどこの国や地域においても独自の文化や国民性があり、それを理解する事が出発点になる」とお伝えしました。
今回は「海外で仕事をする際の心得」についてお話ししたいと思います。
筆者は職歴から海外出張をする機会が多く、滞在した国の数は20を超えます。内訳は、米国、英国、仏国、そして東アジア・東南アジア・中近東・アフリカ(英語圏)の国々です。
そんな経験を経ての「心得」になりますから、世間一般のものより若干かたよっているかもしれませんが、筆者はこれを信じ、先進国を除く地域に赴任する同僚・後輩に伝えてきました。ここでご紹介したいと思います。

1.その国を良く知る。
2.日本人で群れて良い。(以上前号)
3.緊張感を持続してもつ。
4.受け容れる。でも、こだわる。
5.早いうちから日本側に理解者・協力者をつくっておく。
6.現地にブレーンをつくる。

3.緊張感を持続してもつ。
・現地に滞在して数か月が経過すると、日本人の群れにも参加し、現地でしか分からない様々な情報も得て、現地での仕事のやり方や生活にも慣れてきます。安心感・安定感を得た訳で、それはそれで良いことなのですが、注意が必要です。あなたが慣れてきたのは、あなたの居住する地域、就業する地域、余暇でくりだす地域での話です。もう大丈夫だなと思っていると思わぬ落とし穴が待っていたりします。

・政府機関が集まった場所、宗教的意義の高い場所など、それぞれの国に都市内の聖域があります。厳しい警備体制が敷かれている、禁止事項が設けられているなど、注意が必要です。
油断せず、慎重な姿勢で臨むのが良いでしょう。

・地方に出向く機会が訪れます。日本と違い高速鉄道や細かな国営・私鉄の鉄道ネットワークが備わっていない国、高速道路が完備していない国も多く、その移動は飛行機の国内線であったり長時間に及ぶ在来線だったり、車による移動になるケースが多いです。人伝に情報を集めたり、地図やトラベルガイドも利用して、ルートの確認、途中立ち寄り場所の確認などに努めておくことをおすすめします。現地語に精通していればネット検索もまた有効です。携帯電話の充電切れに備えバッテリーの携行も必須です。

[Small Story]
イランイラク戦争真只中の1985年、筆者はイランの首都、テヘランに出張し、業務に励んでおりました。イランというと、中近東にある原油産出国トップ10の一国=高温多湿の砂漠の国、というイメージがあると思いますが、北はキャビアで有名なカスピ海に接し寒冷・乾燥、南はペルシャ湾に面し高温・多湿と、南北で気候の全く違う自然豊かな国です。
テヘランから車で2時間、標高2,000m超のDizinというリフト完備の立派なスキー場があり、休日は友人とそこに出かけスキーを楽しんだのですが、そこは厳格なイスラム国イラン、男女でリフトにのる時間帯を細かく仕切り、またゲレンデにもロープがはってあり、こちらは男ゲレンデ、向こうは女ゲレンデと区別されています。ちょっとした遊び心でロープ近くに寄り女子スキーヤーを眺めていると頭上から発砲の音が・・・カーキ色のユニフォームを着た革命防衛隊のスキーヤーが近づいてきたのです。注意を喚起するのみ、発砲も空砲で、ロープから離れればお咎め無しと、後から聞いたのですが、その時は肝を冷やしました。

[Small Story]
上の事件から数日後、大型商談があり、テヘランから南に300kmの地方工業都市、シーラーズに出張しました。諸説ありますが、赤ワインで有名な葡萄の品種シラーの原産地ともいわれています。国営イラン航空を利用し、メヘラーバード空港から空路1時間半の直行便を予約しました。準備怠りなく余裕をもって空港に到着し目当ての便に搭乗し、2時間後に(少し遅れたな等と感じながら)空港に降り立ちました。シーラーズは内陸の都市で、軽井沢みたいな気候だと聞いていたのに、妙に高温で湿気多く、空港前の道路沿いにヤシの木っぽい木々が並んでいます。何か変だな・・と思いつつもタクシー乗り場に行き、訪問予定の会社名を伝えると、シーラーズでは有名な会社なのでタクシーで簡単に到着できると聞いていたのに、運転手は片言の英語で知らないと繰り返します。とりあえず役所へ向かって英語を普通に話せる人と話したところ・・・
そこはシーラーズの西南200kmの港湾都市ブーシェフルで、イラク空軍の主要標的となった石油積出設備のあったカーグ島から40km程度しか離れていない紛争指定地域、危険地域でした! タクシーの運転手にその時もっていた全財産(米ドル300程度のイランリヤル)を渡し山越え陸路でシーラーズに行って欲しいと懇願し、了解をもらって6時間のドライブでシーラーズの訪問先に到着し、短い時間で商談を終えて、空路テヘランへ戻りました。
後で分かったのですが、私が乗った便にブーシェフルに赴く政府要人が搭乗したため、ブーシェフル経由シーラーズ行きに急遽変更になったということでした。ルート変更は空港でアナウンスされましたが、地方便だったのでペルシャ語のみだったため聞き逃しました。注意不足かもしれませんが、これは間違えます。
因みに、この後、イラク空軍によりイランイラク戦争中の最大の空軍作戦が展開され、ブーシェフルは一週間後に壊滅し、首都テヘランも二週間後に空襲を受けて多くの日本人が脱出を余儀なくされました。タイミングが少しずれていたらと、今でも思い出すたびにぞっとする経験です。