ニューヨーク州司法試験の思い出(完)

2021.11.5

法的支援

私の受験体験記の後半です。

出願時期が遅かったためか、私の試験会場はニューヨーク市内ではなくニューヨーク市から200キロメートル以上離れた州都アルバニーになりました(ニューヨーク市は州都ではないのです)。試験当日に自宅から試験会場に向かうことは無理なので、ニューヨークで知り合った企業からの留学生と一緒にアルバニーに前泊し、試験当日彼の車でホテルから数キロ先の試験会場に向かいました。雲一つないブルースカイにまっすぐ延びるハイウェイはなかなかの壮観でした。ところが、なんと、車がハイウェイ上で止まってしまいました。ハイウェイを通り過ぎる車に「司法試験会場まで乗せてって」と紙に書いたものを見せて叫ぶのですが、東洋人が叫んでいるのをいぶかしく見る人はいても、誰も立ち止まってくれません。結局、日本のJAFみたいな業者に頼んで試験会場に着いたのは、試験開始から1時間後でした。

私の頃の試験は、午前中に択一試験(3時間)、午後に筆記試験(3時間?)となっていました。択一試験は200問あり、その6割を正解しないと筆記試験が採点されない(つまり120点が足切り点)と言われていました。択一試験は4択で、各問題文ではPで始まる人物(Paul等)とDで始まる人物(David等)が必ず登場して原告(Plaintiff)側と被告(Defendant)側がわかりやすくなっていますが、多くの日本人にとっては、英語の問題を解くこと自体が大変で、時間内に解き終わるので精一杯でした。にもかかわらず、3時間の択一試験に1時間遅刻した訳です。「終了30分前」というアナウンスがあったときにまだ3分の1くらいの問題が残っていました。その後もギアを上げましたが残り1分のところで20問くらい残ってしましたので、あとはABCDのどれにするかを決めるしかなく、ひらめきというかやま勘というか、全て「D」を塗りつぶしました。午後の筆記試験は問題なく書けたと思っています。過去問を練習したときは200問を解くのにギリギリ3時間かかっていたので1問当たり54秒のスピードでしたから、2時間で180問ということは1問当たり40秒で解いたことになります。火事場の馬鹿力を発揮はしたんでしょうが。。。

秋になって、司法試験委員会から封筒が届き、択一試験の得点が足切り点まで5点足りなかったことを知りました。なぜかその年の最後の20問には「A」の正解がやたら多かったので、あそこで「D」でなく「A」にしたらひょっとして受かっていたかもしれません。という訳で、私は翌年2月に再受験するはめになりました。

当時研修していた法律事務所のボスに試験結果を報告したところ、私のように1時間くらい遅刻したけれども合格した日本人が過去にはいたとのことですので、不合格だったのは私の能力不足ということですね。
私は、自分への罰(?)として、研修中の法律事務所での勤務時間は再受験の準備には充てないこととしました(再受験のため研修先の法律事務所を休んで一日中勉強時間に充てた人もいたようですが)。7月の試験ではメインの分野からの出題が多かったですが、2月の試験では周辺分野からの出題も結構多かったので、2回目であっても準備の労力はさほど変わらないというのが私の感想です。

電話帳2冊分の「くそ」暗記、ハイウェイでの故障、絶望的状況での択一試験、再受験の孤独感等、大変な思いをしましたが、今となっては懐かしい思い出です。小室圭さんは2回目を目指されるとのことですが、無事合格をお祈りします。